TN@CB1100~CB1100と旅するブログ 

夫婦&かえるのピクルスと行くバイク旅、感じたことをつれづれなるままに書いていきます

思い出話16.5 2011/3/11 私が経験した3月11日(閲覧注意)

東日本大震災で亡くなられた方

被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
 
当ブログで回想録を書く際、震災の扱いをどうするか、当初から悩んでいました。
 
丁度この時期は、前後の記事をご覧頂けると分かるように
我が家のバイクライフが一気に盛り上がります。
震災と言う未曽有の状況に対して何の反応もなく盛り上がってよいのか?
 
2011年6月の福島訪問をきっかけにして
私の「ふくしま愛」が醸成されてくるのですが
皮肉なことに震災が無ければ、福島はいくつかの絶景道を有する
いち観光地でしかなかったのかもしれません。
 
 
3・11は我が家のバイクライフにとっても転機となりました。
 
異論や反論を覚悟したうえで私が3・11に経験した事を記していこうと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2011年3月11日
 
 
私は当時、小田原市内の某中華ファミレスにて地区支援担当として働いていました
 
※地区支援担当:特定の店舗に配属されず、店長の公休確保や繁忙期のフォローの為
複数の店舗を渡り歩くように勤務する者
 
 
小田原市内の某店舗は丁度3~4月上旬が繁忙期にあたり
忙しい日々が続いていました。
ランチタイムからティータイムにかけて途切れることなくお客様が入り、
卒業シーズンを迎えた中高生たちで埋まっています。
 
フロアー、キッチンともに人員的にはギリギリで
突発的なお客様の入店で営業がパンクすることもしばしば
 
※営業:つい外回り営業を連想しがちですが、ここでは接客または調理の仕事をすること。
こういう言葉の使い方をするのはうちの会社だけかもしれませんが
 
 
 
 
 
 
私は当日のあの時間、フロアーに出ていました。
 
 そして迎えた14時46分
働いている店舗は2階にあり、
外の窓から電線が見た事もない勢いでたわんでいるのが見えました。
当然建物の中も大きく揺れました。
 
 
 
 
 
お客様の怪我、器物損壊も無く、キッチンも無事でした。
とりあえず見た目的には何事もなかったかのように見えましたが・・・
 
 
 
 
いつもなら客足が落ち着いてくる時間になってくるのに
客足が止まることを知りません。
 
 
 
来店されるお客様の会話を繋ぎ合わせると
 
 
 
周りの飲食店は電気、ガス、水道が止まってしまいほとんど閉店したこと
 
地震の影響で東海道線小田急線、大雄山線と近隣のすべての鉄道が止まったこと
 
 
 
 
どうやらお客様も行く当てがなくなり
やむなく当店で時間つぶしをしているのでは?
と言う状況に
 
 
 
 
時間が夕方に移り変わろうとする中
今日勤務シフトに入っている高校生のアルバイトから連絡が
 
 
 
 
「電車が動かなくなったので休んでいいですか」
 
 
 
 
営業自体はパンク寸前ですが
さすがに無理強いさせて来させることは出来ずじまい。
 
 
幸い店舗の隣に住んでいる人がいたので運よく補充。
 
 
日も暮れてディナータイムに
客足は衰えを知らずウェイティングを積み重ねる状況。
 
 
 
本来ならばやってくるはずの食材の配送も全く来る気配が無く、
いくつかオーダーストップの商品も出始めました。
 
※食材の配送:通常19時位のはずが(店舗により異なる)
この日は翌日0時以降でした。当日の交通渋滞のすさまじさを物語ります。
 
 
 
 
 
営業のパンクぶりは想像がついていたので
深夜シフトに入っていた相方にも連絡を取り
21時入りより1時間早めに入ってもらうようお願いしましたが・・・?
 
 
秦野から小田原に到着したのが23時、5時間かかったと。
車が、全くと言っていいほど動かなかったそうです。
 
※相方:当ブログの読者様でしたらご存じのぴの子、
当時はアルバイトとして同じ店舗で働いていました。
 
 
 
 
私自身の当日のシフトは、12時~21時でしたが
悲しいけどこれ、仕事だからね
社員が体を張らないとお話にならないからね
 
残業突入です。
 
 
 
 
※仕事:この日は店長は公休。異常事態のため夕方前に連絡しましたが
    帰省中の為店舗に来ることは不可能でした。
 
 
 
 
 
接客で遅れが出ているにもかかわらず
日常作業に(配送された食材の検品、翌日の食材の発注作業、閉店前の清掃作業など)
手が回る訳もなく時間は刻一刻と過ぎていきます。
 
 
深夜0時を回りようやくエリア長の登場。
緊急事態対応に追われていたようです(エリア内の他店舗の多くは閉店)
 
※エリア長:店長の上司に当たる。10店舗前後がまとまり一つのエリアを形成する
 
 
 
私に開口一番
「店は開けておくからとりあえず発注だけしてこい。
(食材の)配送は明日の朝でいい」
 
24時30分の期限ギリギリに食材の発注送信を済ませ
キッチン内の清掃作業を手伝い、終わらせたのが深夜3時(通常1時閉店)
 
店を開けておくのはどういうことかと思ったら、
帰宅困難者のため客席とドリンクバーだけ開放するので
エリア長自身が店番に立つということでした。
 
 
帰宅困難者:鉄道は深夜には復旧し、徐々にお客様は帰宅されたので
       実質居残り客はほぼゼロだったそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
満身創痍の私と相方は、帰宅するなり泥のように眠りにつきました。
このとき未明の4時過ぎ。
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日、10時前に出勤するため睡眠時間4時間ちょっとで起床。
眠い目をこすりながら出社しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
震災の惨状を知ることになるのは、もう少し後のことでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
この後から、福島のこと、東北のことが頭の片隅にずっと残り
 
自分の眼で、福島のこと、東北の現状を見てみたいと決意するのに
そう時間はかかりませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次回 思い出話⑰ 2011年4月ダイジェスト につづく
 
2011年6月 ふくしまの旅まで あと4回
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回は個人的な日記です。
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